脳がすぐ怠けようとするは、脳の基本的な性質らしいが

「人間は社会的な動物である」とアリストテレスが述べたように、人間は、一人では生きていけませんし、誰かに支えられているとともに、社会に貢献する何らかの役割をもっているものです。現代の多くの人間は、学校や会社、家庭、町内会や趣味のサークルなどなど、いくつかの組織集団に重複して所属しているのが普通です。 続きを読む

新潮社 栞 今も卵肌の桃井かおりのしおり

桃井かおりのしおり  新古書店で古本を購入すると、昔のパンフレットやしおりが買った本から飛び出すときがあります。結構そういうのを集めるのが好きでして、そういう方って、いらっしゃるのでしょうかね。
これは、新潮社文庫のしおりです。加藤俊英の『独学のすすめ』という文庫にはさまれていました。いつごろ作成されたものかは、容貌から推測するしかありませんね。(冗談)
『一冊同じ本を読んでいれば、会話することができると思うの。』なんて、素敵なフレーズですね。そういえば、多様な本が毎日出版されており、誰もが一度は読んだことがあるような本が読まれなくなり、内容を共有することって難しい時代になっていますね。
ちなみに、裏は時間割が記入できるようになってます。まさしく学生を意識したしおりです。
【新潮文庫フェア 青春のピットイン】

知的生活のための健康づくりとして、生活リズム

人から話しかけられたときなどにパッと反応できない。話を聞いても文章を読んでも内容がスラスラと入ってこない。よく知っているはずのことが思い出せない。思考がすぐに途切れてしまう。よいアイディアが浮かばない。集中力が続かない。ぼんやりしているうちに時間が過ぎている。そのために、仕事や生活が上手くいかなくなっている。

これって、自分にほとんどあてはまることだ。そう思って、手に取ったのが、築山節氏の『脳が冴える15の習慣』だ。現在自分のコンプレックスともなっているこれらのことを解決する糸口がここにあると思った。 その中で、自分が実践しようと思いながらできないことが、冒頭に述べられている。それは、「生活リズム」を整えること。 なぜ、自分がこれを行えなかったのか。考えてみると2つの理由が自分にはある。第1に、生活リズムが不規則でも周りに頭の回る人間や、論理的で話が流暢な人がいるではないかという疑問である。第2に、仕事をこなす十分な時間がないからなかなか生活リズムとをつくりにくいという思いである。
「生活リズム」などというのは、小学生や中学生だった頃よく聞いた言葉だが、健康のため子供に規則正しい生活をおくらせたいという教師や親の単なる願いに過ぎないのではないがと考えていた。
しかし、脳にかかわる診療に携わってきた築山氏が、脳を冴えさせるためには、生活の原点をつくること、要するに生活リズムを整えることと述べている。そして、生活リズムを失うことは「ボケの入り口」とまで訴えているのだ。
実際、私は無意識のうちに脳がフリーズしているのではと感じることも多い。自身でそう思えるなら、まだ病気ではないだろうが、病気でないという確証もない。頭が真っ白になる仕組みを築山氏はこう述べる。

思考を組み立てる前頭葉が休みたがっているときに難しい話をするので、長続きしない。話している最中に活動がすうーっと落ちて、不意に何も考えられなくなってしまう。次の言葉が出てこなくなる。そういうときでも感情系の方は目覚めていて、まずい状況であることは分かるので、動揺する。その感情系の動きを抑えるための機能も脳にありますから、ますます考えることにエネルギーが割けなくなる。

みなさん、どうだろうか。思い当たることはないだろうか。

・知的生活のための健康づくりとして、生活リズム。先ずは早寝早起きから

あらすじ本は、ストーリー性のある書評である

最近あらすじの本が売れているらしい。若者は、近代文学と呼ばれる作品の題名程度は知っていても、中身までは知らないことが多い。しかし、この状況は、壮年層にもいえる。
欧米のビジネスマンは、世界的な名著の例を引き、会話に盛り込むのに長けているそうだ。日本人のビジネスマンはどうだろうか。グローバル化されていく社会でいきる者にとっては、社会人になり、年を重ねるにつれ、そんなことも知らないでは恥ずかしい気にもなるであろう。教養が、グローバル社会にあっては、重要であることを認識しなければならない。
あらすじというのは、邪道ではあるが、最近は表現が豊かで読み応えのあるものが多い。私も書店でこの手の本を手に取って読んでみたが、すうっと引き込まれてしまった経験がある。換骨奪胎し、現代的にアレンジすれば、愉しいものができそうだと思う。
あらすじから入って、気に入った元の作品を読んでみる。そんな本への導かれ方もあってもよいのではないか。つまり、あらすじは、ストーリー性のある書評であると考えればよいのである。
ちなみに、一部分を抜粋した本もある。作品の息吹を感じるのには、こちらもよいが、全体像が分からない。あらすじ本と抜粋本、どちらであっても、元の作品につながる読書にしたいものである。

文庫(ぶんこ)文庫(ふみぐら)

文庫といえば一般的にはA6版の廉価で普及を目的とした書物をいう。この文庫が日本で登場するのは昭和に入ってのことである。まあ、最近では単行本の売れ行きをカバーするために文庫本の値段が、高めに設定されている。
さて、文庫には、今述べたように書物という意味でつかわれる場合が多いが、文具や建物の意味合いもある。
一つは、本や帳簿などを入れておく手箱である。時代劇で商人(あきんど)が、帳場で帳簿をつけている場面が出てくることがあるが、その横には、文箱のような文庫がおかれてある。
もう一つは、書物を収めておく倉庫や書庫(今風に言えば図書館)のことを文庫という場合がある。元来は、和語の「ふみぐら」であり、代表的なものに「足利文庫」や「金沢文庫(かねさわぶんこともいう)」がある。その文庫に所蔵される書物をさす場合もあり、単に蔵書一般をさす場合もある。
金沢文庫は、鎌倉中期、北条実時が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(元横浜市金沢区)に称名寺を建立し、その境内に創設した文庫である。実時は、北条義時(鎌倉幕府二代目執権)の孫で、実泰の子にあたる。好学の武将で、1234年、小侍所別当となって以来、引付衆・評定衆・越後守・引付頭人・越訴奉行などを歴任し、執権経時、時頼、時宗を補佐した。儒者清原教隆に師事し、自ら『群書治要』などの多くの書物を収集・書写した。実時の死後も、子顕時、孫貞顕が学問を好んだので蔵書は増加し、一族はじめ好学の人々に公開され、鎌倉時代の関東の文教の中心となっていた。鎌倉幕府滅亡後は、事実上廃絶となり、蔵書は称名寺に保管されたものの次第に散室失した。明治になって復興運動が起こり、1930年復活した。現在の金沢文庫は、神奈川県立金沢文庫となっている。
足利文庫は、室町初期に創設の足利学校に付属していた文庫である。室町時代中期の武将である上杉憲実(のりざね)が、再興し、実実と子憲忠らが寄贈した宋版本、北条氏政寄贈の金沢文庫本などを蔵する。現在の足利文庫は、足利学校遺蹟図書館として存続している。