文庫(ぶんこ)文庫(ふみぐら)

文庫といえば一般的にはA6版の廉価で普及を目的とした書物をいう。この文庫が日本で登場するのは昭和に入ってのことである。まあ、最近では単行本の売れ行きをカバーするために文庫本の値段が、高めに設定されている。
さて、文庫には、今述べたように書物という意味でつかわれる場合が多いが、文具や建物の意味合いもある。
一つは、本や帳簿などを入れておく手箱である。時代劇で商人(あきんど)が、帳場で帳簿をつけている場面が出てくることがあるが、その横には、文箱のような文庫がおかれてある。
もう一つは、書物を収めておく倉庫や書庫(今風に言えば図書館)のことを文庫という場合がある。元来は、和語の「ふみぐら」であり、代表的なものに「足利文庫」や「金沢文庫(かねさわぶんこともいう)」がある。その文庫に所蔵される書物をさす場合もあり、単に蔵書一般をさす場合もある。
金沢文庫は、鎌倉中期、北条実時が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(元横浜市金沢区)に称名寺を建立し、その境内に創設した文庫である。実時は、北条義時(鎌倉幕府二代目執権)の孫で、実泰の子にあたる。好学の武将で、1234年、小侍所別当となって以来、引付衆・評定衆・越後守・引付頭人・越訴奉行などを歴任し、執権経時、時頼、時宗を補佐した。儒者清原教隆に師事し、自ら『群書治要』などの多くの書物を収集・書写した。実時の死後も、子顕時、孫貞顕が学問を好んだので蔵書は増加し、一族はじめ好学の人々に公開され、鎌倉時代の関東の文教の中心となっていた。鎌倉幕府滅亡後は、事実上廃絶となり、蔵書は称名寺に保管されたものの次第に散室失した。明治になって復興運動が起こり、1930年復活した。現在の金沢文庫は、神奈川県立金沢文庫となっている。
足利文庫は、室町初期に創設の足利学校に付属していた文庫である。室町時代中期の武将である上杉憲実(のりざね)が、再興し、実実と子憲忠らが寄贈した宋版本、北条氏政寄贈の金沢文庫本などを蔵する。現在の足利文庫は、足利学校遺蹟図書館として存続している。