春になると生命の息吹が躍動感を持ち、さまざまないのちが、活動を開始する。蛙が土の中から顔を出し、草木が芽吹く。冬至を過ぎ、徐々に強くなった日差しも、ここ2,3日で急激に強さが増したのを私は身体の奥底で感じられるようにもなった。この感覚は、多くの自然界に生きるものに共通しており、人も自然の一部分に過ぎないと改めて思わずにはいられない。だからこそ、私たち北国に住む人間も、他の動物と同じように冬の期間ずっと力を蓄え、じっと春を持ち望んでいるのだ。
しかしながら、春は別れの季節でもある。卒業式や人事異動で転勤なども少なくない。これまで慣れ親しんできた人たちと遠く離れてしまうことは、やるせない何かを感じる。
そこには、寂しさという陳腐な言葉では片付けられない何かがあるのだ。それは、これまでの人と人とのつながりが一瞬切れてしまうような錯覚にとらわれた、自分勝手な孤立感のようなものである。
ところが不思議なもので、いつまでも人間の多くは、落ち込んではいない。新しい世界に踏み込むことで、それまでの思いを過去から未来へと転換し、力強く前進しようとするのだ。つまり、節目をつけるのである。これは、「春」という季節が持ついのちのエネルギーの充満に関係するとわたしは考えている。本来は、もっと落ち込んで立ち直れないような状況であっても、季節が味方するのである。
季節が、私たちの心の方向を後ろから前へ誘導してくれるのだ。
「春」とは、慈悲の心をもった母親のような存在なのである。