山田風太郎の書斎/書庫

山田風太郎の書斎机に鎮座する何本でも吸い殻が入りそうな底の深い灰皿。そして、マッチ箱、手のひらに包み込める、あの大きさでなく、輪ゴムの箱より一回り大きめの、あのサイズだ。風太郎は無類のたばこ好きで、写真の中の彼は、たばこを手に持っているいたり、咥えているものが多い。原稿用紙と筆記具の数々、そしてたばこに関するアイテムとの共存共栄のような空間から風太郎の多くの作品が生まれ出た。
また、この書斎机には、特徴的なアーム式のライトがくっついて、机面を照らす光量が調整できる。ほとんどの仕事を夜に行っていた風太郎にとって、微妙な光の加減ができる照明は、きっと仕事環境づくりに不可欠なものであったろう。
今、風太郎の書斎机は、山田風太郎記念館に再現されている。本来は昭和41年春、多摩丘陵の桜ヶ丘に構えた邸宅にあったもので、ここが、風太郎の終の住処となった。
さて、書斎はというと、意外とシンプルだ。和室の書斎には、先に出てきた書斎机が1つ、右隣にテレビやお茶セットなどが置いてあるテーブルが一つ。4面の壁のうち、2面が本棚といった構成である。床には、雑然とした資料が平積みしてある。
書斎以外にも、蔵書を保管しておく書庫があったようだ。蔵書は、「明治研究」「地誌」「戦記」といった自分なりの分類だったようだ。『風眼抄』には、「欲しい本だけは無造作に買って来たつもりだが、さて今書庫を見て、眼でざっと勘定しても、どうも一万冊もありそうにない。考えてみると一日一冊買ったとしても、三十年でやっと一万冊である。(中略)一万冊はないとしても、まあ何千冊かはあるだろう。」と記してある。