硝子戸の中とは書斎のこと

この本の出だしは

ガラス戸の中から外を見渡すと、霜よけをした芭蕉だの、赤い実のなった梅もどきの枝だの・・・

で始まる。
2文目は

書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまたきわめて狭いのである。

とつながる。
漱石は、このとき書斎にいるのである。

漱石は、訪ねて生きた女性から、これまでの辛い人生についての相談を受ける。どうやら、苦難に満ちた人生に終止符を打とうか打つまいかを漱石の考えを聞きたいようなのだ。
漱石の胸には、「死は生より尊い」という言葉が往来していたようだ。しかし、最終的に漱石は彼女にすべてを癒す「時」の流れに従って下れと言っている。彼女は、これに対して、もしそうしたらこの大切な記憶が次第にはげてゆくだろうと嘆いた、という。

以下は、私自身の本文からの抜出である。
「もし生きているのが苦痛なら死んだらいいでしょう」
こうした言葉は、どんなに情けなく世を観ずる人の口からも効きえないだろう。医者などは安らかな眠りに赴こうする病人に、わざと注射の針を立てて患者の苦痛を一刻でもくふうを凝らしている。こんな拷問に近い所作が、人間の徳義として許されているのを見ても、いかに根強く我々が生の一字に執着しているかが分かる。私はついにその人に死をすすめることができなかった。

私の母も、呼吸器をつけ、いまだ生きながらえている。何も語ることはなく、ささやかな鼓動を打ち続けているに過ぎないが…。

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