森村誠一 60歳で小説家になる。 

森村誠一 確かに『abさんご』で芥川賞をもらった方がいたが、人生経験豊富といって、そんなに小説が簡単にかけるものかと疑いの気持ちがあります。文章が苦手な私だけなのでしょうか。

しかしながら、この本の前半部分では、小説を書くことは、今からでも決して遅くないよと励ましをいただいています。例えば、

未来を見ている限り、今の時点の自分がいちばん若いのである。

過去は変えられないが、未来は変えられる。未来志向でいこうと伝えているのだろうと思います。過去の人生を懐かしむのではなくあくまでもこれからの人生の肥やしにする。納得のいく生き方をしていこうと思います。

 

岡崎武志さんの『蔵書の苦しみ』 

 20140111_221345岡崎武志氏の『蔵書の苦しみ』を読了した。蔵書家ならではの悩みや苦しみについて、自身のことや著名人の蔵書にも触れてつづられている。

本文中に、桟雲峡雨の『記者探訪 裏面の東京』という本が、入手困難であるが何としても読みたいものだと岡崎氏は言う。そして、この本を『人間通』の著者であり、書誌学者の谷沢栄一が所持していた、さすがであるといった内容が書かれている。
果たして、本当に入手できないものか調べてみた。現在のところ、確かにアマゾンや日本の古本屋では入手できないようだ。スーパー源氏の検索にも引っかからない。やはり、岡崎氏の言うように貴重な本で、私たちは読むことすらできないものか。名前ばかり知っているが、まだ食べたことのないお菓子を想像するようなじれったさがある。

しかし、実は私が調べたところによると、国立国会図書館で検索すると、すでに電子データ化されている書籍で、インターネットにつながっていれば誰でも読めることが分かる。古典的な和漢書のみデータ化せれているとばかり思っていたのだが、すでに大正時代の書籍も「自炊」されているのである。国でやっているのだから、自炊ではなく、公営の大々的な料理づくりとでもいうべきだろうか。

山田風太郎の書斎/書庫

山田風太郎の書斎机に鎮座する何本でも吸い殻が入りそうな底の深い灰皿。そして、マッチ箱、手のひらに包み込める、あの大きさでなく、輪ゴムの箱より一回り大きめの、あのサイズだ。風太郎は無類のたばこ好きで、写真の中の彼は、たばこを手に持っているいたり、咥えているものが多い。原稿用紙と筆記具の数々、そしてたばこに関するアイテムとの共存共栄のような空間から風太郎の多くの作品が生まれ出た。
また、この書斎机には、特徴的なアーム式のライトがくっついて、机面を照らす光量が調整できる。ほとんどの仕事を夜に行っていた風太郎にとって、微妙な光の加減ができる照明は、きっと仕事環境づくりに不可欠なものであったろう。
今、風太郎の書斎机は、山田風太郎記念館に再現されている。本来は昭和41年春、多摩丘陵の桜ヶ丘に構えた邸宅にあったもので、ここが、風太郎の終の住処となった。
さて、書斎はというと、意外とシンプルだ。和室の書斎には、先に出てきた書斎机が1つ、右隣にテレビやお茶セットなどが置いてあるテーブルが一つ。4面の壁のうち、2面が本棚といった構成である。床には、雑然とした資料が平積みしてある。
書斎以外にも、蔵書を保管しておく書庫があったようだ。蔵書は、「明治研究」「地誌」「戦記」といった自分なりの分類だったようだ。『風眼抄』には、「欲しい本だけは無造作に買って来たつもりだが、さて今書庫を見て、眼でざっと勘定しても、どうも一万冊もありそうにない。考えてみると一日一冊買ったとしても、三十年でやっと一万冊である。(中略)一万冊はないとしても、まあ何千冊かはあるだろう。」と記してある。

新古書店(ブックオフ等)の利用方法 1

安くて内容の濃い本を手に入れる

このサイトの名前は、我が家の書斎に10000冊の知的生活です。3,4年前新古書店通いをしたおかげで、きっと我が家にはすでに3000冊の蔵書はあるのだろうなと確信しています。蔵書の中には、105円コーナーで購入し、アマゾンで検索して1円(実際は送料がかかるので251円)で売っているような本も確かにあります。しかし、内容的な価値は、売価と決して同じではありません。

私は渡部昇一氏の『ビジネスマンが読んでおくべき101冊の本 (知的生きかた文庫)』で紹介されている本を好んで購入し読んでいます。その中に多くの書評家や知識人が推薦する本があります。例えば、谷沢永一氏の『人間通 (新潮選書)』は、その一つと言えるでしょう。多くの人が、感銘を受け、読み継がれるようなロングセラーは、流通量も多く、その分中古市場では、価格が低くなります。値段が高くなく読み応えのある本を新古書店を利用して増やしています。

原敬の書斎

1918年に第19代内閣総理大臣に就任した原敬は、今の岩手県盛岡市本宮(当時の岩手郡本宮村)に直治、リツの次男として生まれた。無爵平民で首相となった彼の口癖の一つに「没趣味である」という言葉があった。しかしながら『原敬日記』には、「閑得て読書する楽しみほど楽しきものはなし」(明治24年2月22日)とあるように読書をたいそう好み、蔵書は優に1万冊を越えた。その範囲は、和書、漢籍、フランス語の書籍を揃え、分野も多岐にわたっていたという。
原敬は大正4年3月鎌倉の腰越に別荘を新築しており、翌年、質素な、瓦葺きの純日本的なつくりの書斎を増築している。先ほどの『原敬日記』には、この書斎について、「手狭につき書斎一室増室の必要を認め先般らい着手し,今回落成せり,八畳の間一室なり・・・6月完成」と記されている。現在は、移築されて盛岡市の「原敬記念館」で、その書斎となった館をを見ることができる。